OSHOのほとり

OSHOのことばを分かち合う

あなたは臨済をどう思う?

臨済のマスターが亡くなった

そのマスターは有名な人だった

が 臨済はそのマスターよりまだ有名だった

というのも そのマスターは静かな人で

実際のところ彼は臨済を通して非常に著名になっのだ

 

何千人もの参列者が

彼らの敬意を表し 最後の別れを告げるためにつめかけた

と 彼らは

あの臨済が泣きわめき 嘆き悲しみ

その顔にはまるで

母を失った幼な児のように涙が落ちているのを見た

みんな我が目を信じることができなかった

悟りに達した人だと思っていたのに

その彼が小さな子どものように泣き叫んでいる

その人が無知ならこれもかまわない

しかし その人が目覚め

その人自身 内奥無比の本性は不死不滅だ

それは決して死なないと説いているとき

これいかに?

 

臨済とごくごく近しい何人かの人たちが

彼のところに来て話をした

「それはまずい

人々があなたのことをどう思います?

もうすでに噂が立っています

みんなはあなたのことを悟った人だと考えていたのが

間違いだったと思っています

あなたの地位そのものが危うくなっているのですよ

泣くのをやめなさい

それに あなたのような人が泣く必要はないでしょう?」

 

臨済曰く

「しかし 私にどうすることができる?

涙は出てくる

それは そのダルマタだ

それを私がどうする?

私は受け容れているのでも拒絶しているのでもない

私は 私自身の内にとどまっているのだ

いま 涙が流れている

それはどうしようもない

地位が危ういのならそれでいい

たとえ人々が私のことを悟っていないと思おうと

それは彼らの商売だ

が 私に何ができる?

私はもうずっと前にやり手を離れた

もうどこにもやり手はいない

それは ただ起こっているにすぎない

この目はひとりでに泣き悲しんでいるのだ

この目にはもうあのお師匠さんは二度と見れまいし

あの人はこの目にとってはこやしだったのだからーー

この目はそれを糧にしていた

魂が永遠なのはよく知っている

誰ひとり決して死にはしない

だが この目にどうやってそれを教える?

何を言って聞かせる?

こいつらは聞きやしない

こいつらは耳など持っていない

どうやってこの目に 泣くな悲しむな

生命は永遠だと教える?

それに 私は何様か?

それは こいつらの仕事だ

こいつらが泣きたかったら泣くがいい」

 

 

ゆったりと自然でいるというのはこういうことだ

ものごとが起こる

あなたはやり手じゃない

受け容れもせず 拒絶もせずーー

自己意志は溶け去る

意志力というまさにその概念自体

空しく無力なものとなる

それは ただただ朽ち果てる

そして

高慢は無の中に消え去る

 

明けた人間を理解するのは難しいことだ

どんな観念も役に立たない

あなたは臨済をどう思う?

「存在の詩」 バグワン・シュリ・ラジニーシ