OSHOのほとり

OSHOのことばを分かち合う

彼らはすべてを吸収してしまった

イエスが怒るとき

それはまったくの音楽だ

怒りでさえもーー

イエスがムチを手に取り

寺から商人たちを追いはらうとき

それには微妙な美しさがある

仏陀でさえ その美しさを欠いている

それに比べると 仏陀はあまりにも一面的に見える

彼の中では

まるで怒りがその役を演ずることはないようだ

怒りの張り

その塩味がないのだ

仏陀はイエスほどおいしくない(笑)

イエスは その中にちょっぴり塩味を持っている

彼は 腹を立てることができる

怒りでさえ 彼の全実存の一部になっている

何ひとつ否定されていない

すべてが受けいれられている

 

だが ティロパは比べようがない

イエスなんかお話にもならない(笑)

タントラのマスターたちというのは

まったく野生の花々だ

彼らはすべてを備えている

あなたはボーディダルマの絵を見たことがあるに違いない

もし見たことがなかったら 一度よく見てごらん

なんとも凶暴で

もしダルマの絵に夜中ひとりで冥想しようものなら

眠れなくなってしまうくらいだ

彼はあなたにつきまとうだろう

 

ボーディダルマやティロパがしゃべろうものなら

それは ライオンの咆哮のようだとも言われている

雷雲ーー

すさまじい滝ーー

野生だ

火のようだ

 

しかしちょっと待って

あまりに性急に彼らを判断するようなことをしなければ

あなたは彼らの中に

生きとし生けるものの中で

もっとも愛に満ちたハートを見出すことだろう

そのときあなたは音楽を

メロディーを彼らの中に感じるだろう

 

そうして突然あなたは

彼らが どんなものも否定していなかったのだということに気づく

彼らはすべてを吸収してしまったのだ

凶暴性さえもーー

ライオンはビューティフルだ

その凶暴性さえそれなりの美しさを持っている

ライオンから凶暴性を取ってごらん

それは

ただの張り子の死んだライオンだ

「存在の詩」 バグワン・シュリ・ラジニーシ