OSHOのほとり

OSHOのことばを分かち合う

怒り

怒っているとする

あなたは 怒りとその原因について考えはじめる

なぜ怒りが引き起こされたかを分析しはじめる

あなたは考えている

どのようにして避けるか

どのように逃れるか

どのようにして繰り返さずにすむか

だが これは思考のプロセスだ

あなたはそれが破壊的であるがゆえに「悪」の烙印を押す

この怒りを意志によって制御しようとする

だから西洋心理学は分析的になったのだ

ーー分析と解剖

 

東洋心理学は言う

気づきなさい

怒りを分析してはならない

その必要はない

ただそれを見るのだ

<気づき>をもって 見なさい

考えだしてはならない

 

実際もし考えはじめれば

その思考が 怒りを見るための障壁となる

そうなれば 思考が怒りを手中にする

そうなれば 思考が怒りを雲のように取りまく

そして 明晰さが失われる

 

だから 決して考えないことだ

無思考状態で 見るのだ

自分と怒りのあいだに 思考のさざ波すらないときには

怒りと直面し 出会うことができる

 

あなたは解剖しない

その源泉に向かわない

その源泉は過去にあるからだ

あなたは判断を下さない

判断を下す瞬間 思考が始まるからだ

「私はそれをしない」という誓いも立てない

その誓いが自分を未来に導くからだ

 

気づきのなかで 怒りの感覚とともに

まさしく「いまここ」にとどまる

 

変えることには関心がない

考えることにも関心がない

あなたは

直接 面と向かって

即座に

それを見ることに関心があるのだ

 

そして これがその美しさだ

もし怒りを見ることができれば

怒りは消える

それは その瞬間消えるだけでなく

その深い内観によって起こる消滅そのものが鍵を与える

意志を使う必要はない

未来に対していかなる決意を持つ必要もない

その出所である源泉に向かう必要もない

それは不必要だ

いまや あなたは鍵を握っている

 

怒りを見るがいい

そうすれば 怒りは消える

しかも

この内観は 永遠に用いられる

怒りがあるときはつねに見ることできる

そうなれば

この内観は さらに深く成長する

 「新冥想法入門」 バグワン・シュリ・ラジニーシ