OSHOのほとり

OSHOのことばを分かち合う

言葉なしに生きること

花を見て それを言葉にする

道を横切る人を見て それを言葉にする

マインドは存在するすべてのものを言語化できる

あらゆるものが変換される

こういう言葉が障壁をつくり出す

こういう言葉は牢獄となる

この言語化ーー

実在を言葉にしようとするたえまない流れは 障害となる

 

ものごとを言葉なしで

あるがままに在らしめなさい

 

太陽を見る

感じる

即座にそれを言語化するーー

見ることと 言語化とのあいだのすき間が失われている

その空白 すき間に気づかなければならない

「日の出は言葉ではない」という事実に気づかなければならない

それはひとつの事実

ひとつの臨在

ひとつの状況だ

マインドは自動的に体験を言語化する

それらの言葉は集められ

存在と 意識とのあいだに入り込む

 

冥想とは 言語なしに 非言語的に生きることだ

 

社会は言語をもたらす

社会は言語を必要とする

だが 存在は言語を必要としない

「言語なしに生きるべきだ」というのではない

それを使う必要はあるが

言語化の機能は自分で点灯できるものでなければならない

社会の一員として生きているかぎり 言葉のはたらきは必要だ

だが 独りでいるときには その機能は停止されるべきだ

 

マインドと その言語的機能は 究極のものではない

あなたはそれを超えている

存在はそれを超えている

 

薔薇を見るとき それは繰り返しではない

それは一本の新しい薔薇であり まったく新鮮だ

過去にはなかったし

未来に再びということもない

それがそこにあるのは 最初にして最後のことだ

だが「これは薔薇だ」という言葉は反復だ

この「薔薇」という言葉は反復だ

それは前々からあったし これからもありつづける

あなたは古い言葉で 新しい何かを殺している

 

存在はつねに若々しく

言語はつねに古い

言語を通じて あなたは存在から逃れる

言語を通じて あなたは生から逃れる

というのも 言語は死んでいるからだ

言語に巻き込まれれば巻き込まれるほど あなたはそれに殺されている

 

 

冥想とは生きること

全身全霊で生きるということだ

そして あなたは

沈黙しているときにしか 全面的に生きることはできない

 「新冥想法入門」 バグワン・シュリ・ラジニーシ