OSHOのほとり

OSHOのことばを分かち合う

分かち合う

あなたに語りかけるべき とてもとても素敵なことがある

それは

まずはじめ

ほかの誰かに奉仕しはじめるより先に

完全に利己的になれ ということだ

 

どうしてほかの人に奉仕することなんかできる?

あなたがまず自分の内なる実存に達することなしにーー?

完全に利己的になるのだ

 

 

ひとたびあなたが在れば

そのとき それは使命なんかじゃなくなる

ひとたび あなたが至福に満たされたら

わざわざしゃしゃり出て行くことなんかない

あなたがどこにいようと

まさに あなたの実存そのものが ひとつの救いなのだ

 

あなたの在りざまがーー

どこにいても

たとえば もし一本の木のそばに坐ったら

あなたはその木を救う

意識的にではなく

あなたの側のどんな努力もなく

ただ あなたが その木のそばに在るということだけーー

それで その木が感応する

あなたの内なる実存が その木の中に流れ込む

そして あなたは一本の木を目覚ますのだ

いつか この木も ブッダになるだろう

 

この木がブッダとなって

全宇宙がそれを祝福するとき

あなたもまた それを祝福するだろう

自分の一部分を

あなたはこの木に分け与えた

分かち合ったのだ

「存在の詩」 バグワン・シュリ・ラジニーシ

 

 

 

 

 

あなたは臨済をどう思う?

臨済のマスターが亡くなった

そのマスターは有名な人だった

が 臨済はそのマスターよりまだ有名だった

というのも そのマスターは静かな人で

実際のところ彼は臨済を通して非常に著名になっのだ

 

何千人もの参列者が

彼らの敬意を表し 最後の別れを告げるためにつめかけた

と 彼らは

あの臨済が泣きわめき 嘆き悲しみ

その顔にはまるで

母を失った幼な児のように涙が落ちているのを見た

みんな我が目を信じることができなかった

悟りに達した人だと思っていたのに

その彼が小さな子どものように泣き叫んでいる

その人が無知ならこれもかまわない

しかし その人が目覚め

その人自身 内奥無比の本性は不死不滅だ

それは決して死なないと説いているとき

これいかに?

 

臨済とごくごく近しい何人かの人たちが

彼のところに来て話をした

「それはまずい

人々があなたのことをどう思います?

もうすでに噂が立っています

みんなはあなたのことを悟った人だと考えていたのが

間違いだったと思っています

あなたの地位そのものが危うくなっているのですよ

泣くのをやめなさい

それに あなたのような人が泣く必要はないでしょう?」

 

臨済曰く

「しかし 私にどうすることができる?

涙は出てくる

それは そのダルマタだ

それを私がどうする?

私は受け容れているのでも拒絶しているのでもない

私は 私自身の内にとどまっているのだ

いま 涙が流れている

それはどうしようもない

地位が危ういのならそれでいい

たとえ人々が私のことを悟っていないと思おうと

それは彼らの商売だ

が 私に何ができる?

私はもうずっと前にやり手を離れた

もうどこにもやり手はいない

それは ただ起こっているにすぎない

この目はひとりでに泣き悲しんでいるのだ

この目にはもうあのお師匠さんは二度と見れまいし

あの人はこの目にとってはこやしだったのだからーー

この目はそれを糧にしていた

魂が永遠なのはよく知っている

誰ひとり決して死にはしない

だが この目にどうやってそれを教える?

何を言って聞かせる?

こいつらは聞きやしない

こいつらは耳など持っていない

どうやってこの目に 泣くな悲しむな

生命は永遠だと教える?

それに 私は何様か?

それは こいつらの仕事だ

こいつらが泣きたかったら泣くがいい」

 

 

ゆったりと自然でいるというのはこういうことだ

ものごとが起こる

あなたはやり手じゃない

受け容れもせず 拒絶もせずーー

自己意志は溶け去る

意志力というまさにその概念自体

空しく無力なものとなる

それは ただただ朽ち果てる

そして

高慢は無の中に消え去る

 

明けた人間を理解するのは難しいことだ

どんな観念も役に立たない

あなたは臨済をどう思う?

「存在の詩」 バグワン・シュリ・ラジニーシ

 

 

 

 

  

それ自身のやすらぎへと還る

ダルマタというのは

あらゆるものが それ自身の根源的本性を持つという意味だ

もしもあなたが

あなたの内なる<すみか>にとどまるならば

すべては だんだんと

それぞれの自然な要素へと溶け去って行く

それを邪魔している張本人はあなただ

もし あなたがあなたの実存の内側に

アラヤに

内なる空に

その絶対の純潔にとどまっていたら……

ちょうど空と同じように

雲が往来し

なんの痕跡も残らない

行為が往来し

思考が往来し

たくさんのことが起こる

しかし 内側の奥深いところでは何ひとつ起こらない

 

もしゆったりと自然に

その内なる<すみか>にとどまっていたら

だんだんとあなたは

すべての要素がそれ自身の本性へと還って行くのがわかるだろう

 

肉体は五つの要素でできている

地はだんだんと地へ還り

空は空へ

火は火へーー

それは死んだときに起こることだ

あらゆる要素がそれ自身のやすらぎへと還る

ダルマタとは すべてのもの初源の本性のことだ

あなたがあなたの<すみか>に還る

そうしたら あらゆるものがそれ自身の<すみか>に還る

そうしたら もう何一つ混乱はない

 

世の中には

二つの生き方と 二つの死に方がある

ひとつは 誰もがやっているように生きることだ

あらゆるものとごっちゃに混ざり

内なる空など完全に忘れ去ってーー

 

それからもうひとつ

内側にやすらいで

初源要素の力が それ自身の道をとるのを許す生き方がある

「存在の詩」 バグワン・シュリ・ラジニーシ

 

 

 

 

  

全存在が進行している

実際 やるべきことなど何もないのだ

 

あなたに何をやるのを要求されているわけでもない

あなたに求められているのは

ただ単に ゆったりと自然に あなた自身でいて

ものごとの起こるのを許すことだけだ

 

全世界が あなたなどなくたって動いていく

 

川は海に流れ

星はめぐり

太陽は朝になれば昇る

季節は移ろい

樹々は成長し 花咲き 消え失せる

そうして<全体>はあなたなしに進んでゆく

あなたは自分をゆったりと自然にさせて

その<全体>といっしょに動いて行けないものだろうか?

 

ただあなた自身でありきって

ものごとの起こるのにまかせてごらん

何が起ころうともーー

何が起ころうと 無条件にだよ

良くても悪くても

不幸でも幸福でも

生でも死でも

何が起ころうと それを起こらしめるのだ

あなたは ただリラックスしていればいいのだ

全存在が進行している

それも完全無比に進行している

 

なぜあなたが自分のことで思い悩む?

 

どうか ちょっとリラックスしてごらん

ただリラックスだけで

あなたは<達成し得ざるもの>を達成する

 

あらゆる瞬間

あなたが何をしようと

あなたはその外にい続ける

どんな行為もあなたの<傷>になどならない

なり得ない

そして

一度リラックスしてこれを見抜いたら

もうあなたは何をするか

あるいは何をしないかなどに思い悩むことはない

そうしたら

ものごとにそれなりの進路を取らせてやるだけだ

そうしたら

あなたは 白雲のように漂う

どこへ行くでもなく

ただただその動きを楽しんでーー

さまようというそのこと自体がビューティフルだ

「存在の詩」 バグワン・シュリ・ラジニーシ

 

 

 

 

 

  

鏡のようになりなさい

鏡になる

敏感すぎる感光板のようにはならないこと

鏡のようになりなさい

 

ものごとは やってきては 過ぎていく

鏡はうつろで

からっぽで

空のままだ

 

ただ反射するだけ

反応はしない

感応するだけ

解釈したりしない

 

あなたが過ぎ去り

映像がなくなってしまえば

一秒たりとも 鏡がそれをとどめることはない

これが ブッダの心だ

 

この鏡のメタファーを

理解しようとしてごらん

 

あなたがその前に来れば

彼はあなたでいっぱいになる

あなたが立ち去れば

あなたのことは終わりだ

思い出すらもよぎらない

鏡には過去はない

ブッダもまたしかり

鏡にはなんの未来もない

ブッダもまた同じだ

 

ものごとは起こっているし

これからも起こりつづけるだろう

しかし

もしあなたが鏡のような意識に据わっていられれば

何ひとつ前と同じことはあるまい

全体が変わったのだ

 

あなたは純潔で

無垢で

純粋でありつづける

何ものも

あなたにとって不純となり得ない

 

なぜならば

何ひとつとして

かかえ込まれるものがないからだ

あなたの空性には手がつかない

誰かそこにいる人を

映している間でさえ

鏡そのものには何も起こっていない

鏡は元のままだ

 

これが 根そのものを断つ ということだ

「存在の詩」 バグワン・シュリ・ラジニーシ

 

 

 

 

 

突然あなたは開花する

それは あなたに起こるのだ

達成できるものじゃない

それのほうが

あなたのところへやってくるのだ

 

だから ティロパは言う

“ 無達成なるものを達成せん ”

 

 

それは あなたに

用意のできたとき

不意にやってくる

足音さえ聞こえない

それは 突然くるのだ

あなたは それが 来ていることさえわからない

 

それが 花ひらくとき

突然 あなたは その開花を見

その芳香に満たされる

「存在の詩」 バグワン・シュリ・ラジニーシ

 

 

 

 

 

ゆったりと自然であれ

不自然なことをしたら

自然な流れに逆らったら

ゆったりと自然であることなんかできない

 

何人かの人たちにとっては

僧院にいるのが 完全に自然なことであるかもしれない

何人かの人たちにとっては

山にこもるのが 完全に自然であるかもしれない

そういう人たちは山にいなくちゃいけない

 

判断のものさしとして 心にとめるべきは

「ゆったりと 自然で」あることだ

 

市場にいて自然ならビューティフルだ

市場もまた神聖なり

ひとつだけ覚えておきなさい

 

“ ゆ っ た り と 自 然 で あ れ ”

 

「存在の詩」 バグワン・シュリ・ラジニーシ

 

 

 

 

  

自分が今いるここ…

妻や子や世間をあとにする人間は

緊張するだけで ゆったりとはできない

捨てようという まさにその努力の中に

緊張がしのびこむ

 

自然であるということは

自分がいるそこにいる ということだ

自然であるということは

どこであれ 自分が今いる そこにいることだ

 

いまの自分

いま自分に起こっていることの すべてを

受けいれてごらん

それで はじめて あなたは

「ゆったりと 自然に」なれる

「存在の詩」 バグワン・シュリ・ラジニーシ