OSHOのほとり

OSHOのことばを分かち合う

両方で在りなさい

ヒマラヤの山中で 静寂を求め

それに対立するものを避けながら 生きていたら

死んだようになってしまう

確実に鈍くなるーー

沈黙することを選べば選ぶほど

ますます鈍重になっていく

なぜなら <生>には対極が必要だからだ

対極の挑戦が必要だからだ

 

あなたは死んだようにはなりたくなかろうーー

 

沈黙は

あなたがほんとうに 活気にあふれているあいだに起こらねばならぬもの

生き生きとして

生命に エネルギーに 満ちあふれているとき……

そのときには 沈黙は意味深いものとなる

それは 鈍重ではなく 活きている

そこには 二つの対極間の 微妙なバランスがある

 

活きたバランス 活きた沈黙を求める人は

市場にも ヒマラヤにも 両方に行きたい

市場に行って その騒音も楽しみたいし

ヒマラヤに行って その静寂も楽しみたい

そして

これら二つの両極端のあいだにバランスを生み出して

そのバランスの内にとどまる

 

反対のものは 否定されるのではなく 吸収されるべきだ

対極は 取り残されるべきではない

それは 使われなければならぬもの

取り残されたら それはあなたにとって重荷となる

取り残されたら それはあなたにまとわりつく

 

努力と無為

動きと静止

活動と非活動

物質と霊魂

これらは二つの堤だ

その二つのあいだを流れるのは不可視なるもの

それは あなたで在ることだ

 

自分を これだとか あれだとか 言ってはならない

自分の存在を片方で確認してはならない

自分は両方だ! と言いなさい

自分自身が矛盾するのを怖れることはない

矛盾するがいい

両方で在りなさい

 

楽に動きなさい

活動的とか非活動的とかいうことだけでなく

善いとか悪いとか呼ばれるものすべて

邪悪とか神聖とか呼ばれるものすべて

 

常におぼえておくことだ

両側に堤があって

もしあなたが河になりたかったら

両方の堤を 無条件に使いなさい

 

あなたは 両方だーー!

唯一おぼえておくべきことは

その二つのあいだでバランスをとるということ

とれたら そのときにはあなたは 両方を超える

そのときには 邪悪も 神聖も ともに超越する

両方が超えられたとき それこそブラーマだ

なぜならブラーマとは 二つの対極のあいだにあるバランスにほかならないからだ

 

もっと動きになることだ!

動きとなって <生>が流れるのをゆるしなさい

 

ひとたびあなたが

対立するもの 矛盾するものを使うこの秘密の錬金術を知ったら

あなたは自由になる

が そうでなかったら

あなたは内側に監獄をつくってしまう

 

ひとたび あなたがそのコツを知ったなら

何をしようとも バランスのほうが影のようにあなたについてくる

「マイウェイ」 バグワン・シュリ・ラジニーシ