OSHOのほとり

OSHOのことばを分かち合う

心を落とす老師の道

選ばないこと

 

彼が一度としてどんな瞑想も示していないのはそのためだ

なぜならば、そうなったらどんな瞑想も必要ないからだ

 

選ばないこと

 

生を来るがままに生きなさい

浮かび漂うがいい

どこかに着くどんな努力もしないこと

目標に向かって行かないこと

 

瞬間を、その全体性において楽しんでごらん

 

そして、過去や未来に邪魔されないこと

そうすると

あなたの魂の中にひとつの交響楽が生まれてくる

最も高いものと最も低いものがあなたの中で出会う

 

そのときこそ、あなたには豊かさがある

 

もしただ最高のものだけだったら

あなたは貧しい

 

 

最も豊かな可能性は、

一度に峰と谷の両方であることだ

「TAO永遠の大河1」OSHO

 

 

 

 

  

あなたが消え失せる

禅とは 進化だ

終わりなき 進化だ

完成というのは行き止まりだ

もはや先はない

 

禅の行く手には

つねに無限と永遠がある

それは尽きることがない

 

実際 あなたが道を進むにつれ

その道は尽き果てることなく

あなたのほうがだんだん消え失せていく

 

そして あるとき 気がつくと

あなたは もはやいなくなり

<存在>のみがある

それは まったく完成ではないし

救済でもない

 

それは 溶解であり 消失だ

それは 氷が大海に溶け去るようなものだ

「禅宣言」 OSHO

 

 

 

 

 

  

 

  

自分の道

放棄しなさい!

だが 逃げる必要はない

放棄して

それでもなお ここにいなさい

世間のなかにいなさい

しかし 世間のものになってはいけない

群衆のなかにとどまり

しかも ひとりのままでいなさい

千とひとつのことをやりなさい

必要なことは何でもやりなさい

しかし けっしてやり手になってはいけない

エゴを集めてはいけない

それがすべてだ

 

世俗的であることに何も間違いはない

世俗的でありなさい

それでいてなお

超俗的なままでいなさいーー

それこそ まさにアートだ

正反対のもののあいだを生きることの

正反対のもののあいだでバランスをとることのアートだ

それはかみそりの刃のように非常に狭い道だーー

しかし これが唯一の道だ

もしこのバランスをとりそこなえば あなたは真理を逃す

 

この世間で 今ここにとどまりなさい

そして 自分の道を進みつづけ

自分の存在の深い笑いとともにつづけなさい

 

神のところへ 踊ってゆきなさい!

 

神のところへ 歌ってゆきなさい!

「生・愛・笑い」 バグワン・シュリ・ラジニーシ

 

 

 

 

  

怒りの内観

内観には三段階ある

 

第一段階は 怒りがすでに起こり 過ぎてしまったときだ

それは あたかも消えてゆく尻尾を見るかのようだ

象は去り 尻尾だけが残っている

怒りがあったときにはすっかり巻き込まれ

真に気づくことができなかった

怒りがほぼ収まり 99パーセント消えたときーー

ただ1パーセントだけ その最後の部分がまだあり

はるか彼方の地平線上に消えつつあるーー

そのときに 気づくこと

これが気づきの第一段階だ

すばらしい

だが それだけでは充分ではない

 

第二段階は 象がいるときーー

尻尾ではない

その状況の真っただ中だ

まさに怒りの絶頂であり 沸き立ち 燃え上がっている

そのときに 気づくことだ

 

それから まだ第三段階がある

怒りはまだ来ていない

だが 来ようとしている

尻尾ではなく頭だ

それは まさに意識の領域に入りつつある

そして あなたは気づく

そのとき 象はまったく物質化されていない

あなたは その動物が生まれるまえに殺した

それは産児制限

現象はまだ起こっていない

そのとき それは足跡を残さない

 「新冥想法入門」 バグワン・シュリ・ラジニーシ

 

 

 

 

  

 

 

怒り

怒っているとする

あなたは 怒りとその原因について考えはじめる

なぜ怒りが引き起こされたかを分析しはじめる

あなたは考えている

どのようにして避けるか

どのように逃れるか

どのようにして繰り返さずにすむか

だが これは思考のプロセスだ

あなたはそれが破壊的であるがゆえに「悪」の烙印を押す

この怒りを意志によって制御しようとする

だから西洋心理学は分析的になったのだ

ーー分析と解剖

 

東洋心理学は言う

気づきなさい

怒りを分析してはならない

その必要はない

ただそれを見るのだ

<気づき>をもって 見なさい

考えだしてはならない

 

実際もし考えはじめれば

その思考が 怒りを見るための障壁となる

そうなれば 思考が怒りを手中にする

そうなれば 思考が怒りを雲のように取りまく

そして 明晰さが失われる

 

だから 決して考えないことだ

無思考状態で 見るのだ

自分と怒りのあいだに 思考のさざ波すらないときには

怒りと直面し 出会うことができる

 

あなたは解剖しない

その源泉に向かわない

その源泉は過去にあるからだ

あなたは判断を下さない

判断を下す瞬間 思考が始まるからだ

「私はそれをしない」という誓いも立てない

その誓いが自分を未来に導くからだ

 

気づきのなかで 怒りの感覚とともに

まさしく「いまここ」にとどまる

 

変えることには関心がない

考えることにも関心がない

あなたは

直接 面と向かって

即座に

それを見ることに関心があるのだ

 

そして これがその美しさだ

もし怒りを見ることができれば

怒りは消える

それは その瞬間消えるだけでなく

その深い内観によって起こる消滅そのものが鍵を与える

意志を使う必要はない

未来に対していかなる決意を持つ必要もない

その出所である源泉に向かう必要もない

それは不必要だ

いまや あなたは鍵を握っている

 

怒りを見るがいい

そうすれば 怒りは消える

しかも

この内観は 永遠に用いられる

怒りがあるときはつねに見ることできる

そうなれば

この内観は さらに深く成長する

 「新冥想法入門」 バグワン・シュリ・ラジニーシ

 

 

 

 

  

言葉なしに生きること

花を見て それを言葉にする

道を横切る人を見て それを言葉にする

マインドは存在するすべてのものを言語化できる

あらゆるものが変換される

こういう言葉が障壁をつくり出す

こういう言葉は牢獄となる

この言語化ーー

実在を言葉にしようとするたえまない流れは 障害となる

 

ものごとを言葉なしで

あるがままに在らしめなさい

 

太陽を見る

感じる

即座にそれを言語化するーー

見ることと 言語化とのあいだのすき間が失われている

その空白 すき間に気づかなければならない

「日の出は言葉ではない」という事実に気づかなければならない

それはひとつの事実

ひとつの臨在

ひとつの状況だ

マインドは自動的に体験を言語化する

それらの言葉は集められ

存在と 意識とのあいだに入り込む

 

冥想とは 言語なしに 非言語的に生きることだ

 

社会は言語をもたらす

社会は言語を必要とする

だが 存在は言語を必要としない

「言語なしに生きるべきだ」というのではない

それを使う必要はあるが

言語化の機能は自分で点灯できるものでなければならない

社会の一員として生きているかぎり 言葉のはたらきは必要だ

だが 独りでいるときには その機能は停止されるべきだ

 

マインドと その言語的機能は 究極のものではない

あなたはそれを超えている

存在はそれを超えている

 

薔薇を見るとき それは繰り返しではない

それは一本の新しい薔薇であり まったく新鮮だ

過去にはなかったし

未来に再びということもない

それがそこにあるのは 最初にして最後のことだ

だが「これは薔薇だ」という言葉は反復だ

この「薔薇」という言葉は反復だ

それは前々からあったし これからもありつづける

あなたは古い言葉で 新しい何かを殺している

 

存在はつねに若々しく

言語はつねに古い

言語を通じて あなたは存在から逃れる

言語を通じて あなたは生から逃れる

というのも 言語は死んでいるからだ

言語に巻き込まれれば巻き込まれるほど あなたはそれに殺されている

 

 

冥想とは生きること

全身全霊で生きるということだ

そして あなたは

沈黙しているときにしか 全面的に生きることはできない

 「新冥想法入門」 バグワン・シュリ・ラジニーシ

 

 

 

 

  

私に迷わされないこと

私がここにいるのは

あなたが あなた自身でいる手助けをするためだ

あなたを混乱させるためじゃない

 

あなたは ただ私の話を聞いていて

なんであれ自分の栄養になることを見つけたら

それを消化しなさい

それをよく噛みなさい

それを自分の血や肉に

自分の骨の髄そのものにしてしまうのだ

 

ただし あなたの傾きに従うこと

 

タントラについて話すとき

私はまったくその中に吸い込まれてしまっている

なぜなら それが私だからだ

私は部分的ではいられない

もしタントラについて話すとすれば

私は全面的にその中にはいり込んでしまう

そうしたら ほかのものは何もおかまいなしだ

ただタントラだけが重要なものとなる

 

それは あなた方に 誤った印象を与えかねない

 

タントラは最高の 究極の華だ

それは 私が私のすべてをもって見たとき

それが間違いなくそうだからだ

ヨーガについてしゃべっているとき

また同じことが起こる

 

私がいろいろなものに持ち込むのは 私の全体性なのだ

それをヨーガやパタンジャリに持ち込むとき

私はまたまた

「これこそ最後のものだ」と話すだろう

だから 迷わされないこと

 「存在の詩」 バグワン・シュリ・ラジニーシ

 

 

 

 

  

 

あなた

神があなたを歓迎しているのに

どうして私がそうしないでおれる?

全世界があなたを支え

存在があなたを認める

認めるばかりか

エネルギーと

いのちを

与えるというのにーー

 「存在の詩」 バグワン・シュリ・ラジニーシ